「悪魔」に取り憑かれるのは、いつだって「女」なのだ

つーコトで。エクソシスト・ビギニングを観た。映画館に行ったら長蛇の列が延々と。流石全米No.1。めまいを覚えつつ映画館の入り口まで近づいたら、それは東京国際ファンタスティック映画祭への列だった…そーだった。また忘れてたヨ。忘れるの、今年で何回目?トホホ。で、上映館に入ったら…これまたトホホ。多く見積もっても30名前後って感じの観客数。はぁ。チューブラー・ベルズが延々流れる場内。でも、気分盛り上がらず。
興味は、メリン神父はどのよーに悪魔払いを修得するのかっつーのが一つ。また、監督が次々交替した結果はどーだったかっつーのも一つ。最初の監督ジョン・フランケンハイマーが制作途上で死去した後、それを引き継いだポール・シュレイダー監督が完成させたバージョンを製作陣が気に入らず、更に監督レニー・ハーリンが主演以外の役者を入れ替えてイチから作り直したっつー「こだわり」は如何に。三度目の正直なるか?確かに主演のステラン・スカルスゲールドは結構ハマりだと思う。インソムニアのオリジナル版、つまり、アル・パチーノ主演のハリウッド・リメイクぢゃナイ方で主役ヤッてたヒト。最近ではドッグヴィルにも出演して生ケツ披露してたよーナ…。アノ、ナンか内に抱えてマス風なのって、このヒトには良く合ってるナ。
確かに、ホラーとしては手堅いっつーか「勉強して」それ風の演出でキッチリ固めたって感じ。その点では好感持てるンだケド…シリーズのファンからすると、コレって駄作かも。だって、構造的には「モンスター退治するヒーローモノ」なンだもン。スプラッタ調だし。ラストのセリフなンて、ハードボイルドそのまンま。かっちょええケド、それでイーのか。第一、幾ら元神父でキリスト教的なモノにも詳しい考古学者っつー設定だからって、メリンが悪魔払いをあっけなくやってのけるのって「アレレ?」だろ。メリンには最初からそーゆー能力があったとでも?それってどーヨ?まーいーか。
ぢゃあオレは「駄作」とキメつけちゃうかっつーと、そーでもナイ。暗過ぎるストーリー設定をエンターテインメントとしてさらっと流しつつ、押さえる部分はちゃンと押さえてて、その辺りはイイと思う。「悪魔」を封じ込めるために「教会」を「悪魔の祭壇」の上に建てちゃったっつー舞台設定からしてそーなンだケド、西欧的、即ちキリスト教的な価値観が、他の価値観の上位に立つべきっつー「思想」を象徴させてる。更にそれをセリフで「白人が彼等の上に立つべきだ」なンて言わせたりする。そーいや、ココでの「悪役」である「悪魔」とされるのはバズズとゆー、キリスト教発生以前から存在するメソポタミアの「神様」だったよネ。ンでもって、その「対立」の末、結局どっち側も「神様代理を除いて」全滅。エクソシストな部分そっちのけだったよーな気もしつつ。その辺りがハンパだから、煮え切らナイ感じが残るンだナ。スケールがそれなりにデカい筈なのに、それが妙に小さく見えちゃうのって、チャチっく見える砂嵐のCGのせーだけぢゃナイと思う。
ま、それぞれの「境界」を犯すとどーなるかっつーのが、この映画のテーマの一つではあるだろー。そーゆー意味では、現在のUSAの状況を反映してると言えるかも。そー捉えるヒトって、少ないかナァ。イスラム教発生はキリスト教より後だっけ。そーゆー問題ぢゃナイって。ま、信仰の再獲得っつーもう一つのテーマからすると、あのM.ナイト・シャマランのThe Signsに比べりゃ、まだ説得力はあるかも。
ところで。「悪魔」に取り憑かれるのが、いつも「女」なら、「悪魔」はいつでも「男」…なのかナ。