ロスト・イン・トランスレーションは国辱映画か

答えは「YES」。この映画は、ハリウッドで大量生産されてる大多数の映画がそーであるよーに、観客をアメリカ人に想定してある。だから、それを念頭に置けば、ロスト・イン・トランスレーションは「国辱」映画だと言える。アメリカ人であるソフィア・コッポラが、アメリカ自国人を日本という「異文化」に放り込むコトでコケにしてみせる。そーゆー側面が、この映画にはある。日本のコトを「ヘンなモノ」として描く一方、登場人物のアメリカ人達を「無様なヒト」として描いてるのだ。ビル・マーレー演じるボブ・ハリスという人物が「落ちぶれたハリウッドスター」とゆー設定なのが象徴してるよーに。
この「ヘンなモノ」を誇張気味に連発してるコトで、「日本をバカにして!」とゆー反応を簡単にしちゃうヒトは、オレにとっては単細胞としか思えナイ。そっちばかりに目が行って、もう一方の重大さに気付いてナイ。
観てから早3ヶ月経過してるので、記憶が不確かなのはご容赦。映画の最初の方で、スカーレット・ヨハンソン演じるシャーロットがお寺でお坊さん達を見る場面は、日本が「異文化」だと示す象徴的な部分である。アメリカは何だかんだ言ってもキリスト教国家だ。そこへ仏教でゴ〜ンな場面を見せて、アメリカとは決定的に違う何かがバックグラウンドにあるのが日本だと感じさせよーとゆー意図があったと思われる。深読みし過ぎかナ。
ま、そーゆー場所だから、自分のバックグラウンドから解放されると「勘違い」するキッカケになっちゃったりする。自分が「外人」であるコトを、無意識的に利用し始めるのだ。特にアメリカ人に限った話ではナイケド、この映画での対象はアメリカ人。
そーゆーのが積み重なると、いい「オトナ」が寿司屋のカウンターに足を投げ出そーが、病院で車椅子に乗って大はしゃぎしよーが平気になる。折角治療のために行った病院なのに、誰にも英語が通じない。普通は英語が通じると思われる病院を探すモノだと思うケド、こーゆー場所なら英語でも大丈夫な筈とゆー、アメリカ人またはイギリス人にありがちな「勘違い」をココでも示したりする。深読みし過ぎかナ。
シャーロットの夫の友人だというアメリカの女優は脳天気キャラ。ホテルのラウンジで歌うアメリカの女性歌手が歌い終わったと思って拍手しちゃうのはアメリカ人ビジネスマン。それにつられて他の客が拍手し始めるので、彼女の歌は聴かれてなかったも同然。日本くンだりまで来てホテルで歌うアメリカ人ジャズ・シンガーってそンなモノと小馬鹿にする。まだまだ他にもあったとは思うケド、取り敢えずこンな感じ。
そーゆーワケで、実に殺伐とした感情が裏に渦巻くミョ〜な映画ではある。アメリカ人はコレを観て怒らナインだろーか。実際には「大爆笑」を引き出してたりもするンだろーケド、一部は「自虐」が入ってる。アメリカ人も、案外、自虐的なのが好きなのかもネ。ま、そーゆー視点も含めて「日本ってそンな所」とゆー「特権階級」に独特の見下した視点を指して「日本をバカにして!」とゆーのなら、オレは「そーだネー」と溜息混じりに同情するヨ。やれやれ。