沖縄にはマブイがイッパイ

「沖縄の人はね、みんな、これを持ってるんだよ。」そう言いながら、那覇の商店街のおばちゃんが、清めの塩をオレ達に振り掛ける。「これ持っときなさい。」と、塩を少し分けてくれた。こンな目に遭うとはナァ。その商店街へは、それまで何度も立ち寄ってた。そンなモノを感じたコトは一度もなかった。なのに、あそこへ立ち寄ってから、感覚が一変しちゃった。商店街中から「何か」を感じるよーになっちゃった。「この辺りは昔、何かあったんですか?」と友人が別のおばちゃんに訊く。「さあねえ。大昔は、ここに限らず、髑髏が道端に転がってる様な所だったらしいけどねえ。」
そンな風になっちゃった「きっかけ」は、ある公園に行ったコト。そこには野戦病院跡がある。その看板を見つけて、野戦病院跡への階段を降りてイク途中。これより先は「危険」。突然、オレは何故かそう感じ、その感覚に戸惑っている内に、じわじわと「何か」がやって来た。オレ達の感情を、彼等の「感情」にムリヤリ「同調」させよーとする「何か」だ。それは「群」を成して一気にこちらに向かって来る。オレ達は逃げ出した。気が付くと、公園のアチコチから膨らんだ「何か」が、オレ達に近づこうとしてた。早く公園から出なきゃ!やっとの思いでバスに乗り、そこから離れたケド、友人はどーやらその内の一つに捕らえられてしまったよーで、体が重いと言う。そして、2つの文字が頭の中から離れナイと困った顔をした。さっきまで、公園にいたヤギを見てはしゃいでたのに…。
突然「何か」が入り込ンで来て、悲しくもナイのに涙すら流させる。そンな体験が、彼にもオレにもある。その感情の「根拠」が全く判らンので、驚き、戸惑い、恐怖するしかナイ。何でいちいちそーゆー「何か」を感じるのか、煩わしいとも思う。困ったコトに、その「きっかけ」が、友人の感覚に影響を与えたらしー。オレよりも「ソレ」に敏感になっちゃったのだ。
そこへ行った後、オレ達は那覇の商店街で土産物を物色してた。その時「ここ、これ以上進むの怖い気がする。」と友人が言いだした。オレは半信半疑だったケド、そのまま進んだ先にあるトイレへ近づくと「これ以上は危険」とゆー感覚が不意に襲って来て、困っていた。そンな時、商店街のおばちゃんに声をかけられたのだ。「マブイ」とゆーのは、沖縄の言葉で「魂」とゆー意味だ。そーゆー「魂」がそこら中に宿ってるのが沖縄。だから、沖縄の人達は塩を小さな袋に入れて、必ず持ち歩いているのだそーだ。
沖縄旅行から帰って来たその夜。友人は「アレは、沖縄の人じゃないみたいだ。」と話した。「アレ?」「ほら、あの公園で。」彼が判明したと思うコト。彼に憑いて来ちゃったその「思い」の主は、どーやら沖縄から遠く離れたどこかから戦地に来て亡くなったヒトらしー。故郷に帰りたい、自分はココにいると伝えたい。そーゆーコトらしー。彼の頭に浮かんだ2文字は、ソレにどーやら関係してるらしーケド、意味不明。嗚呼。頼るヒトを間違えてるヨ。お願いだから、頼るヒトを選んでくれ。オレは、もちろン、頼りナインで問題外だゾ。と、書いてみた所で「感じちゃった」のはしょーがナインだよナァ。
今夜の「ぷっすま」はお絵描き対決だった。罰ゲームの自腹でお買い物が、無闇に高額にならないよーに、上限額を硬貨掴み取りで決定っつー工夫が割とエエ感じ。そろそろ、草薙画伯の画集出版しナイかナァ。単価1000円なら買う。装幀は現代アートの画集っぽくして欲しい。思いっきりスノビッシュにして。「現代のイコンをパロディックに問う」とか。ダメ?