クリックしてカットすると音楽がデキるンDEATH

Mille Plateauxから出ている「Clicks & Cuts 2」とゆーコンピレーション・アルバムを久々に聴く。所謂グリッチやクリック・ハウス的な作品群を包括的に網羅したシリーズで、2000年から1年毎にリリースされてた。1と3はCD2枚組だケド、2はCD3枚組36曲収録とゆー気合い入ったボリューム。取り敢えず2だけ持っとけば、この辺の「傾向」を確認出来ると思う。Mille Plateauxって、こーゆー包括的なコンピレーションを組むのがスキらしく、昔「Modulations & Transformations」とゆー同様のシリーズを定期的にリリースしてた。コレも1990年代半ばのエレクトロニカの「趨勢」を知るには便利な資料になる。「Clicks & Cuts」はOvalや池田亮二出現以降とゆー感じ。1990年代後半のエレクトロニカ・シーンのある一面。
http://www.faderbyheadz.com/a-Site/column/article/fimp.html
http://www.synesthesie.com/heterophonies/theories/Szepan-1000ptxt.html
グリッチとは、即ち「電子機器の故障」を指すワケだケド、どーしてこーゆー一種の「エラー」に魅了されてしまうのか。「エラー」を積極的に取り込んだ作品は、電子音をモチーフにしてなくても、昔からイロイロあった。機械の故障とゆーか、ある決まり切った手順の実行中に起こる「エラー」を「面白い」と思う感覚に基づく作品。例えば、以前書いたSteve Reichの初期作品が生まれた過程にも顕著なよーに。
しかし、最近はこーゆーエレクトロニカな音楽ってどーなってンだろー。PCの普及で、この辺りを音を作る人達は増加する一方だ。まるでストリート・ミュージシャンが街に溢れたよーに。「スタイル」は早々と消費され、シーンがカンタンに停滞する感じがする。でも、作品が「エラー」によって自立的に生成されてイクよーな感覚に魅力があるのは変わらナイ。本来予定されナイ「エラー」は、その予測不可能な状態が面白い。それを「刺激」として用いるか、その起こってしまった後の「停滞」とゆー「退屈」を楽しむか。Ovalの初期3枚のアルバムは、その辺りのバランスが上手い。