「終戦記念日」にはオリンピックを

本日は「終戦記念日」。毎年この時期は「あの戦争を考える」つーか、そーゆー雰囲気濃厚になるって思ってた。しかし、思い起こしてみると、年々そーゆー傾向は薄れてる気がする。今年は「アテネ・オリンピック」が始まっちゃったので、マスコミはこっち一辺倒になっちゃってる。つーか、相変わらず「あの戦争を考える」番組や記事があっても、オリンピックを観戦する方が楽しーので、そっちに目が行かナイ。「あの戦争を考える」の、その「考える」内容って「あの戦争は日本国民に何の益ももたらさず、只、横暴で悲惨だったよネ〜」と確認するコトな気がする。そーヤッて「反省」しとけば、後は「何でもあり」な感じが濃厚、とか思っちゃったり。夏になると、同じよーな辛気臭い顔で毎度ヤッて来て、そンな「反省」を垂れ流すだけになっちゃってる気もする「あの戦争を考える」と比べると、やっぱオリンピック感染を選択しちゃうナ。あ、感染ぢゃなくて観戦だった。
オリンピック開催については政治的なアレコレがあったり、その招致にイロイロあるのは知ってるケド、やっぱ「観客」としてはオリンピックの主役は選手。オリンピックと言えばナショナリズムだ〜みたいな捉え方をするヒトもいるケド、オレとしては「日本人絶対勝て〜」っつーよか「日本選手ガンバレ〜」なンで、何かピンと来ナイ。例え選手がアングロサクソン日本国籍の選手でも、やっぱ「ガンバレ〜」だヨ。そーゆー選手を見かけナイのは何でかナァとか思うケド。オレが知らンだけか。ま、オレにとってお手軽に感情移入デキるのが日本選手とゆーダケ。それがナショナリズムってゆーのかナ?でも時々「あー、コイツ必死だ〜」とか思うと、日本選手でなくても「ガムバレ〜」とか思うヨ?あ、メダルの数=国力っつー捉え方もあるのか。オリンピックとゆー名の代理戦争。そーなのか。つーか「ワールド」とか「国際」とか憑くゲームは代理戦争なのか?ワカラン。あ、憑くぢゃなくて付く。
ま、どっちの「戦争」にも巻き込まれたくはナイ。そンな「戦争」とゆー「災害」には。そーゆー勘定で「戦争反対」っつーのはイケナイかナ?ワカラン。あ、勘定ぢゃなくて感情だった。